「主文、岡山二区の選挙は無効とする」
平成25年3月26日午前11時広島高裁岡山支部202号法廷内の空気は一瞬凍った。直後、携帯電話で「無効判決」を口にしながら一斉に飛び出す記者の群れ。この日は全国6か所の高裁で我々一人一票実現グループの平成24年12月16日実施の衆議院選挙無効訴訟判決日であった。そのため、いつも出廷する升永英俊先生、久保利英明先生、伊藤真先生らの姿はなく、原告席は私一人。前日25日広島高裁における約70年ぶりの無効判決を受け、岡山支部の判決にも期待がかかっていたものの、まさかの連日の「無効」判決、しかも、広島とは違い将来功なしの「無効」判決である。
以下、私が一人一票実現グループに加わりこの判決を受けた経緯について、弁護士を目指すところからお付き合い願いたい。
法曹を目指して
私は、大学時代、アメリカンフットボール部に所属し全く弁護士などなる予定もなく卒業後、銀行を経てソフト開発会社に勤務していた。ベンチャー企業のなかで実績を伸ばし営業所長まで勤め、株式の上場も果たしビジネスマン生活を楽しんでいた。しかし、何かもの足りなさを感じていた。そして、自然のなりゆきから、独立できるビジネスを模索していた。もともと法律に関心はあり、実務においても、債権回収や不当請求、労働関係や契約上のトラブルもあり、法律をある程度は必要としていたが、まさか弁護士になることなど考えてもいなかった。
そんなころ、弁護士を志すきっかけになる出会いがあった。一つ目は大学の同窓会でロッキード事件などを担当された吉永祐介元検事総長の話を聴き、法曹とりわけ弁護士の仕事に魅力を感じた。そしてもう一つは書店で立ち読みの際に偶然見つけた伊藤真先生の司法試験に関する書籍である。非常にわかりやすく、特に憲法理論の説明には心を打たれた。そして、自分でも司法試験に合格できるのではないかと考えてしまった。何事にも好奇心旺盛、チャレンジ精神だけは自負する私であったので、さっそく仕事と司法試験の勉強を並行するうち、弁護士の仕事が実際にやってみたくなり、遂には会社を辞めてしまい、上場した際の持ち株のキャピタルゲインと代行運転などのアルバイトで生計を維持しながら司法試験の勉強に集中することになった。もともと、ビジネスおける交渉は得意とするところであり、自分の価値観で仕事が出来るし、社会の変革もできるなどと淡い夢を描いたが、結局6回試験を受け平成15年に何とか合格できた。
一人一票運動
弁護士の仕事は、まずは依頼人の利益の実現にある。しかし、司法試験の合格を目指したとき、社会の変革も目指した。弁護士会の委員会活動などもその社会変革行動の一つである。
昨年12月14日、地元岡山で第12回国選シンポジウムが開催された。これは、国選弁護制度を勾留段階の一部の事件に限定されている現状を改革し、すべての被疑者に弁護人を付けることを目指すためのシンポジウムである。2年に1度、全国から弁護士のみならず一般市民も参加する一大イベントである。私は、このシンポジウムの実行委員として、イギリスの刑事弁護の調査にも赴いた。先進の刑事弁護の実情を視察し、資力要件を問わない国選弁護制度、電話で自由に被疑者と接見出来るシステムに衝撃を受けた。そして、シンポジウムでは総合司会を務めさせていただき、430人もの参加をみることができた。惜しむらくは刑事訴訟法の立法者である国会議員の参加がゼロだったことである。それもそのはず、このシンポジウムの熱気の冷めやらぬ二日後の12月16日には衆議院選挙投票日であった。平成23年3月23日の「違憲状態」最高裁判決から1年9カ月が経過したものの一切選挙区は修正されない状態、すなわち「違憲状態」のままの選挙実施であった。翌日17日我々のグループは全国14高裁に対して一斉に訴訟提起した。今度は「違憲状態」ではなく、明白に「違憲」判決が出るのではという期待があったが、反面、やはり裁判所がそのような思い切った判断を果たして出しうるか、ましてや「無効」などはやはり無理かと考えていた。
一人一票実現原則は、これまで一票の格差の問題を平等権侵害の問題ととらえられてきたものを国民主権原理から再構築したものである。
この問題は、司法試験の受験以前から大変興味深く考えていたが、衆議院では何故か3倍以内なら合憲、参議院に至っては5倍まで合憲などいう判断になるのか到底理解できなかった。しかし、人口比例選挙の実現、すなわち一人一票が原則とまでは考えが至らず、平等権侵害の観点から2倍を超えなければ合憲という通説が妥当であり、この点で最高裁判断は不当と考えていたに過ぎなかった。
弁護士になると決心したころは、この一票の格差問題にも携われたら良いななどと漠然と夢を抱いていた。
ただ、6回も旧司法試験を受験したので、受験途中からはとにかく合格することしか眼中になくなっていた
受験時代、伊藤真先生とは伊藤塾のイベントを通じて何度かお話をする機会があった。伊藤真先生からは憲法理論はもとより、伊藤真先生がよく受験指導で使われた「もうだめだと思わない、あきらめない、これでいいと思わない」という言葉は、私にとって人生の座右の銘となり、今でもたびたびこのフレーズを使わせていただいている。
私が司法試験の合格後直ちに独立して事務所を立ち上げたこともあって
目先の事件処理、事務所経営に追われ、一票の格差問題とは無縁な時間が過ぎていった。ただ、平成21年の衆議院選挙の無効訴訟については、升永英俊先生たちが中心になって全国の全ての高等裁判所に訴訟提起したことを報道で知り、これまでの選挙無効訴訟とは一味違う雰囲気を感じていた。
しかし、報道が冷めると再び日々の業務に忙殺されていった。そんななか平成22年の参議院選挙直後、一本の電話が鳴った。高松の弁護士で旧知の植松先生からだった。伊藤真先生から今度は全ての高裁支部でも訴訟を提起するので岡山支部での訴訟提起を私に担当してほしいという内容であった。
私のことを伊藤真先生が覚えてくれたことに何か運命的なものを感じたことと、もともと投票権の格差は甚だ不当だと考えていたので、代理人になることを即諾した。
この一人一票の弁護士グループは、升永英俊弁護士、久保利英明弁護士、伊藤真弁護士が中心となって、地方の各高裁所在地の弁護士が協力するという体制である。私の役割は、高裁岡山支部への提訴手続、報道機関への資料提供及び質問対応、記者会見場所の設置などが主な仕事である。グループに加わって、訴状を初めて熟読したとき、この一人一票の考え方の斬新さはコロンブスの卵であった。従来の平等権侵害ではなく、国民主権原理から人口比例選挙が原則であることを導き、都道府県及び市町村の枠にこだわることなく選挙区割をすれば、限りなく一人一票の等価値の投票権が実現できるというものであった。考えてみれば、当然のことである。憲法上国会議員は全国民の代表であって、憲法上その固有の存在が保障されているわけでもない地方自治体の利益代表ではないのだからである。都道府県の枠にとらわれる理由など全くないのである。
しかし、これまでの選挙訴訟の判決を知っている法律家としては、果たして裁判所が従来の判決の基準を変更するのだろうかと懸念した。
それでも、訴状を熟読すればするほど十分な法的理論と熱い説得力を感じた。そして、平成23年3月23日の最高裁判決において、平成21年の衆議院選挙のいわゆる一人別枠方式について批判し、「違憲状態」判決を出した。これまで一人別枠方式は合憲としていたことから歴史的大転換である。最高裁もやっとのことで動き始めたように感じた。ただ、我々の主張する一人一票の原則の言及はなかった。
続いて、私が最初に代理人を務めた平成22年の参議院選挙無効訴訟において、岡山支部で「違憲状態」判決、最高裁も平成23年10月17日参議院の特殊性などという理屈を持ち出さず「違憲状態」判決を出した。ただ、ここでも、一人一票原則には言及しなかった。
今回の衆議院選挙無効訴訟は、裁判所も今までとは態度が違っていた。法律上、選挙訴訟判決は100日以内に出さなければならない。当然である。選挙の有効性という立法行為の有効性にも直結する判断をのらりくらりやられたので国政は大混乱である。しかし、これまでこのルールはほとんど守られることがなかった。すなわち、裁判所が「違憲」と判断する気がなかった現れである。ところが、今回の訴訟は、14か所の高裁すべてが示し合わせたように、このルールを守ったのである。
3月6日東京高裁の「違憲」判決を皮切りに、「違憲」判決が相次いだ。
金沢、福岡に至っては人口比例選挙が原則であることまで言及した。山が動くのを感じていたが、3月25日の広島の「無効」判決報道には仰天してしまった。1年の猶予付きとはいえ、「無効」である。法曹関係者なら期待しつつも絶対に出ないだろうと考えていた判決である。
広島判決を受けて、明日26日の判決の旗出しの字幕に「無効」の文字を急きょ用意したものの、広島の判決を見て岡山が判決を変更することはなく、無効はないだろうと考えていた。それよりも、升永英俊先生たちが不在のなか、いかに短時間で判決内容を分析して記者会見に対応するか、この準備に追われた。さすがに、私一人で対応できる訳もなく、私の事務所の八木和明、加藤高明両弁護士に判決の分析、旗出しの応援を、事務スタッフにも判決文の謄写、即日上告の提出などを分担した。
午前11時の判決宣告後直ちに手わけし判決の分析に取りかかる、旗出しまで20分。「無効」に条件は付されておらず確定即無効、人口比例選挙原則に言及と信じられない内容であった。
この日、岡山支部だけが「違憲無効」判決を得たが、他の高裁は「違憲有効」判決であったため、全国的に岡山判決が目立ってしまうことになってしまった。記者会見後も事務所の電話や私の携帯は記者からの質問攻めであった。もう一つ驚きがあった。全国に私の名前が報道されたので、抗議や嫌がらせが殺到するかと警戒していたが、一件のface bookに書き込みがなされただけであった。多くの国民が支持した結果なのであろうか。
弁護士になって9年、このような経験があるはずもなく、果たしてまともなマスコミ対応が出来たのか、恐縮している。来るべく最高裁判決には是非一人一票の原則に言及しつつの大英断に期待し、国民主権原理を全うしてもらいたいと願う次第である。
(ザ・ローヤーズの記事とは若干表現が異なります)